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定番ぶら多摩湖

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最近よくブラタモリを見る
崖(がい)が結構重要だ
番組にも出ている芳賀さんの本も興味深い


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で、ぶら多摩湖はあまり学識のある側面からアプローチはしません「笑」

今日は堤防下の草むらで日向ぼっこ
堤防見ながら、決壊したら大変だろうなぁと縁起でもない想像しながら
昔父親が低い土地はダメ、湿った土地もダメ、  と言っていたのを思い出す。
多摩湖はダムではないから大丈夫だろうけど、父親は信用していなかった。

堤防

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宅部池(通称たっちゃん池)

名前の由来、地元では有名なお話、今は看板もあり、ちゃんと記載されている。
幽霊がでるかでないか分かりませんが、無念な想いは時を超えて残っているんだろうか・・・

(多摩湖のページより以下引用)
現在、「たっちゃん池」の名で親しまれている都立狭山公園内の宅部池(やけべいけ)は、宅部の貯水池を略して、通称「ヤケチョ」と呼ばれていました。広さ1,000坪、深さ7メートルのこの池は、夏になると近くの子供たちが毎日のように泳ぎにきていました。

大正14(1925)年7月21日、焼け付くような昼下がり、折しも貯水池工事の真最中の頃、ちょうど昼休みで大勢の作業員が木陰で疲れをいやしていました。この日、たっちゃんは、妹をつれて池に遊びにきていました。家へ帰ろうとして妹は、池で遊んでいたお兄ちゃんの姿が見えなくなっていることに気づき、急に寂しくなって泣きだしました。作業員が10人ぐらい集まってきて、訳を聞きました。「それじゃ、行ってみてやろう」と、青年監督官2人が、救助しようと池に飛び込みました。

しかし、二人とも池へ入ったまま姿が見えなくなってしまいました。やがて3人は30分ほどして、ようやく東北の水底から引き上げられました。東村山から医者が来て、水を吐かせ、へそにお灸をすえました。「これで反応がなければ、ダメだ」と医者が言いました。結局、3人が池で亡くなりました。昔は、医者がお灸を持っていたようです。

狭山に住んでいたたっちゃんは、関田辰夫君といい10歳の子供でした。河童みたいに泳ぎが上手で、すばしっこい子だったそうです。どうやら、池の中の地盤調査用ボーリング穴にはまって溺れたのではないかとのことです。この悲惨な出来事のあと、ヤケチョは「たっちゃん池」と呼ばれるようになりました

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堤防下(奥は西武園)


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東村山には下宅部遺跡なるものがあり、土偶の頭が発見されています。それが青森で見た体育座りしているのと似た三角顔、古い人にしかわからないかもだけどテッカマンにも似てる。
東村山市 下宅部遺跡 HP

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似てるなぁ~
その昔、高度の文明を持った宇宙人かテッカマンが居たのではないだろうか・・・・


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